草原の記

司馬遼太郎の「草原の記」を読んで


司馬遼太郎さんファンならば、彼が大学でモンゴル語を専攻し、

モンゴル高原に魅せられていたことをご存知だと思いますが、

この本には、その彼の草原への想いが、実に淡々と書き綴られています。


イメージ 1


私は、モンゴル民族が一度は中国からヨーロッパまで征服したにもかかわらず、

「奇跡的なまでに欲望少なく生きて来た」ということに、

司馬さんが魅力を感じていたのだろうと思うし、

私自身も大変な羨望と驚愕を覚えます。

都市を建設して「もの」を創り、創作欲と物欲の結晶を文化の目安とする農耕民族とは対照的に、

草原に張った天幕に住み、いつでも移動できる身軽さで居続けると云うのには、

一種、悟りを極めたような潔さがありますよね。

単に文化度が低いのだと見る人も多いでしょうが、

私は、その「もの」にとらわれない自由さに、果てしない憧れを感じます。



イメージ 2


「もの」に囲まれ、「もの」に追われ、「もの」をめぐって競う生活が

つくづくくだらなく思えてきてずいぶんになります。

身軽だった頃が、ひたすら懐かしく思い出されるのです。

留学して間もない頃、私は引っ越し魔だったのですが、

色々な建築のアメリカの家に住むのが楽しくて、

一年に5~6回も引っ越したことがあります。

あの頃の私は、スーツケース一個に、本やがらくたの箱が2~3個で、

いとも簡単に家から家へと渡り歩いて居りました。

あの自由さ、あの気ままさ、

私は完全に王女のような気分で居ましたし、

実際、色々な制約にがんじがらめになっている今日に比べれば、

宿題以外に何のノルマもない、誰に従う必要も無い遊牧王女でありました。 

     *

つい、そんなことまで思い出してしまいました、この本を読んで。





***