頑張らない
スイカの赤ちゃんです。今、直径10センチほど。
先日、ある日本人グループの新年会の席で、
「今年は「頑張らない」が一年の計です」とご挨拶された方がありました。
彼女は、当日の朝、日課のブログ読みをした際、
「人間生きている限り病気になって当たり前、死んでも当たり前、
まして落ち込んだり失敗したりは当たり前で、
いちいち逆らったり、いきり立っても仕方がない。
疲れたら休む、そしてまた翌日やり直せば良い。
人生の明るい面に視点を置いて、限られた日数を楽しまなければ損!」
というような内容の記事を読まれたそうで、
今年は頑張らないで楽しむことにしたとおっしゃいました。
会場からは、いっせいに賛同のうなずきが漏れていました。
こんなところにもひとつ。
考えてみれば、至極当たり前のことなんですが、
ご挨拶を聴いている間にも、スーッと自分の肩から荷が降りるような気がしましたね。
こちらはメロンです。 美味しいといいな。
数年前から病気がちになった継母からも聞かされたことがあります。
「ガンバレ、ガンバレ」と言われても、病気になってから何を頑張れば良いのかワカラナイ、と。
「頑張って」というのは日本人の口癖みたいで、
会話の締めくくリなどによく使われていますが、
他に何を言っていいか分からない時など、私も使ってしまうことがあります。
言いながら、なんとなく抵抗を覚えてはいたのですが。
キュウリですが、何種のものか分かりません。
日本人が、「じゃ、ガンバッテねー」などと別れ際に言うのに対し、
アメリカ人は、"Take it easy.” とよく言います。
「まあ、気楽に行こうや」みたいな意味ですけれど、
実際アメリカンは非常に頑張る国民だし、競争も激しいので、
あれはお互いをなぐさめ合う言葉だったんだなーと、この頃思うようになりました。
こちらはグニャグニャきゅうり。
私は、40歳になる頃まで、人生に終わりがあるなんて感じていませんでした。
お恥ずかしいことですが、目前の楽しみや問題にかまけていて、
その先にまったく考えが及ばなかったんです。
40を過ぎて初めて、自分が丘を登り詰めたことを知って、
その先の下り坂が、さらにはその行きつくところが
ついに見え始めたんですね。
レタスは元気いっぱいです。 どんどんできるので、とても食べきれません。
周りの同年代の友人や同僚の中には、
老後のための貯蓄やペンションなどに注意を配っている人も居ましたが、
私は、そう云う配慮にさえ欠けていたと思います。
行き当たりばったり、短絡的、
そう云う言葉がぴったりでした。
見えるかしら? お豆です。
今だにそうですから、年齢を積むにつれて視界が変って行って、
その新しい世界に、いちいちビックリする訳です。
エー、私って年を取るんだ、
エー、年を取ると身体がぎくしゃくするんだー、みたいに。
まったく想像力が欠落していると言うか、おめでたいと言うか・・・
にょきにょき生えてきたアスパラ。
そう云う具合ですから、これからもどんどん新しい状況に戸惑うことでしょうし、
実際うろたえる度数が頻繁になってきた今日この頃なので、
今度のようなお言葉を聞くと、
非常に気持ちが落ち着きましたね。
死んでも、朽ちても当たり前、それが普通だと云う言葉が、
こんなになぐさめになるなんて、おかしいですけれど。
大好きな赤ピーマンが色づいてきました。 ローストするのが楽しみ。
ましてや、ジタバタすることはない、頑張らなくても良い、
という安堵感は、気持ちの良いものです、今の私にとって。
だから、私も「今年はガンバラナイ」!
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