追悼
アップルのコンピューターをお使いの方は同じだと思いますが、
スティーブ・ジョブスが亡くなったその日から、ネットを立ち上げる度に
真っ白なスクリーンからこの写真が目に飛び込んできました。
写真でも充分に伝わる彼の喰い入るようなまなざしが、
そして、1955-2011の数字が、
その短くて凝縮された一生を訴えかけて来て、
なんとも残念な、悲しい気持ちを禁じえませんでした。
今、サンフランシスコに帰っているのですが、
ここベイエリア(大サンフランシスコ圏をそう呼びます)では、
スティーヴ・ジョブスは明らかにローカル・ヒーローでした。
世界のスティーヴと云うべきですが、ここが彼のホームベースだから、
良きにつけ悪しきにつけ彼の動向を誰もが知っていたと云う意味では、
明らかにローカル・ヒーロー的存在だったのです。
実際、彼の仕事を何らかのかたちで手伝ったり、生活面で関係したりした人はたくさん居て、
(夫もその一人で、長年に渡り家具を納めてきましたが)
彼の病状も、変化が有るごとに報道されていたので、
それだけに誰もが自慢の親類をなくしたような、
ショックと悲しみを感じました。
亡くなってしまってから知ったのですが、彼は、私の娘と同じように、
貰われッ子だったのですってね。
産みの親が育ての親に託したお願いと云うのは、
大学に行かせてやってくれと云うことだったらしいのですが、
スティーヴは入った大学を中退してしまったようです。
そして、彼が生涯の師と仰いだのは小学5年生の時の先生で、
偶然にも、それが夫の親友の母親だったのですが、大統領賞を受け取った時には、
彼女を授与者として名指したのだそうです。
夫の親友(彼の名前もスティーヴなんですが)は、自分の母親とはずっと折り合いが悪くて、
いったい母親がジョブスにとって、何故そんなに素晴らしい先生であり得たのか、
てんで分からないと云う風でした。
私も一度だけお目にかかったことが有りますが(非常に面白い状況下でお会いしたのですが、長くなるのでまた別の機会に)、
その時には、ごく普通の父親、夫、カリフォルニア人と云う感じで、
状況が特異すぎたのか、彼自身から特に強い印象を受けませんでした。
受け手の私の器が小さかったのですね。
夫の会社は、つい先日、彼の別宅にベッドを5台届けたばかりでした。
自分で選んで、ずいぶん値切って来たりしたので、あの様子ならまだ大丈夫と、
セールススタッフも夫も笑っていたところでした。
人の命が消えるとき、いつも決まって思います。
なんと命の不思議なことかと。
身体が老いて朽ち果てることは理解できても、
その心が、思い入れが、考えが、そして魂が一瞬にして消えることは、
その人が大きければ大きいほど、
信じがたく、解しがたく、
ただ、あまりにも確かに存在したそれを、
見えないそれを追うように、空を見上げてしまいます・・・・
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